スカラー&ライム--歴史考察

邪馬台国ってなーに?

2025/11/25
どうも、こんにちは!!古代史大好きハリネズミのスカラーです。
同じく古代史大好きキノコスライムのライムだよ!
今日は邪馬台国について色々調べてみたんだ
邪馬台国?
昔、学校で習った気がするけどなんだっけ?
邪馬台国ってのはね?
魏志倭人伝って古書に出てくる昔の日本にあったっていう国の名前で 卑弥呼って女王様が治めてたとされてるんだ
まぁ正確には魏志倭人伝ってのは中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称なんだけどね
へぇ~~!! 三国志は知ってる!!
劉備とか孔明とかが出てくるやつだよね
その三国志に昔の日本の事が書いてあるの?
そう!その三国志ね
その中に昔の日本の事というか正確には倭国の事が書かれているんだ
倭国って昔の日本の事だよね?
そこが議論の的になってるんだよね
どういう事?
そもそも、卑弥呼がいた邪馬台国が大和朝廷の先祖だとすれば「日本=大和朝廷」なわけで、 「日本=倭国」だけれど
『旧唐書』に『日本は倭国の別種なり』『日本はもと小国、倭国の地を併せたり』などとも 書かれていて、この通りに読むと「倭国と別の国である日本が倭国を滅ぼして吸収した」となる為、 「倭国≠日本」なんだよね
だから、邪馬台国の場所しだいで倭国の定義が変わってくるんだよね
魏志倭人伝には邪馬台国の場所って書いてないの?
書いてあるんだけど、色んな解釈ができるから、これもまた論争の的になってるんだ!
どういう事?
じゃぁ魏志倭人伝にどの様に書かれてる文章を元に説明するね
(それぞれの国々の説明は省くね)

從郡至倭、循海岸水行、歷韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里


始度一海千餘里、至對馬國


又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國。


又渡一海千餘里、至末廬國。
帯方郡から末路国

帯方郡(今のソウルあたり)から南に行ったり東に行ったりしながら馬韓を経由して約7000里で狗邪韓国(くやかんこく・釜山や金海付近)に 到着

初めて海を約1000里渡ると対馬国(今の対馬)に到着

また、南に海(瀚海(かんかい。対馬海峡)を約1000里渡ると一大国 (一支・壱岐)に到着


また南に海を約1000里渡ると末廬国(まつろこく。松浦市周辺)に到着
やっと九州到着だね
順調だね!!
帯方郡から末路国

東南陸行五百里、到伊都國。

東南至奴國百里。

東行至不彌國百里。

東南に陸路を500里で、伊都国(いとこく・いつこく。糸島付近)に到着する

東南の奴国(なこく・ぬこく。那珂川市、春日市、大野城市付近)には100里で到着。

東の不弥国に(ふみこく・ふやこく。福岡県飯塚市付近)には100里で到着。

ちなみにこの辺は⑤→⑥→⑦の順じゃなくて、⑤→⑥・⑤→⑦っていう伊都国からの記述だという 放射説てのもあるよ
ようやく議論ぽい物が出てきたね
でも、大体の場所は分かってるんだね
そうだね
別の場所だという説を提唱する人もいるけど、多くの学者はここまでは一致してるんだ
ここまでは?
って事は、ここからは違うの?
お!!
よく気が付いたね!
そうなんだ、ここからが論争の的であり面白い部分なんだ
説明続けるね

南至投馬國、水行二十曰。

南至邪馬壹國。女王之所都、水行十日、陸行一月。

南へ水行20曰で投馬國。

南に水行10日、陸行1月で女王の都、邪馬壹國に到着。
え?
いきなり距離じゃなくて日数になった??
そうなんだ
いきなり距離表示じゃなくて日数になったんだよ
この通りに行くと日本を飛び出て遥か南に到着しちゃうんだ
その為、邪馬台国が近畿にあったという近畿説では魏志倭人伝等の古書では 紙がボロボロなった古書を残すために手書きで書き直しが何度もされてきたんだけど、 その中で東を南と読み間違いや書き間違いなどがあったのではないかという説をとなえてるんだ
まぁ、古書などでは読みづらい字で書かれていたりするし手書きで写してたら 間違えたりもするかなぁ
一方、九州説では距離の方が間違ってるのではないかと考えられてるんだ
というのも⑤→⑥→⑦の順じゃなくて、⑤→⑥・⑤→⑦って言ったように
その後の部分も⑤→⑥→⑦→⑧→⑨じゃなくて⑤→⑥・⑤→⑦・⑤→⑧・⑤→⑨といったように 伊都国から邪馬台国の日数じゃないのかという説がでてるんだよ
しかも、『水行10日、陸行1月』って部分も『水行だと10日で到着するけど、陸行だと1月もかかるよ』 って内容だという説もあって色々議論が白熱してるんだ
うひゃぁ
なにが正しいのか分からなくなるね
でも⑤→⑨で『水行だと10日で到着するけど、陸行だと1月もかかるよ』って 事だとしても一月も歩くのなら伊都国から結構離れた場所なのかな?
そこに次の文章が加わるんだ
自郡至女王國、萬二千餘里。
帯方郡から女王国に至るには12000里。
え?
てことは①7000里②1000里③1000里④1000里⑤500里だから 伊都国までで考えても10500里だから残り1500里?
そうなんだよね
残りを⑤→⑥→⑦→⑧→⑨と行こうが⑤→⑨と行こうがその距離は1500里の 話って事になるんだよね
そうなると、近畿まで行くのは難しそうだねぇ
九州説有利かな?
そこが難しいところで、この12000里ってのが日本でいう八百万の神(やおよろずのかみ)が実際800万柱の神々が いるって事じゃなく、それくらい沢山の神々がいるっていう比喩であるように
この12000里ってのもそのくらい遠くの場所って意味だとか
魏志倭人伝には色んな時代の記事がパッチワークの様にコピペされてるから 12000里の記事と①~⑨の距離とは別の役人によって書かれたものを魏志倭人伝にまとめられたから、あてにならないとも考えられてるね
なるほどねぇ
なかなか解決が難しそうな問題だねぇ
そうそう!
だから何百年も論争が続いてるんだよ!
取り敢えず今日はこの辺で終わるね
うん!
ありがとう勉強になったよ
じゃぁねぇ!