魏志倭人伝を読んでみよう(後編)
2026/1/04
こんばんはスカラーです。
今日は、前回に引き続き魏志倭人伝の 残りを読んでいくよ
今日は、前回に引き続き魏志倭人伝の 残りを読んでいくよ
残り全部読むんだね
楽しみだ
楽しみだ
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景初二年六月
(西暦238年) - 倭女王遣大夫難升米等詣郡 求詣天子朝獻 太守劉夏遣吏將送詣京都
- 其年十二月
-
詔書報倭女王 曰
「 制詔親魏倭王卑彌呼 帶方太守劉夏遣使送汝大夫難升米 次使都市牛利 奉汝所獻男生口四人 女生口六人 斑布二匹二𠀋 以到
汝所在踰遠 乃遣使貢獻 是汝之忠孝 我甚哀汝 今以汝爲親魏倭王 假金印紫綬 裝封付帶方太守假授 汝其綏撫種人 勉爲孝順
汝來使難升米 牛利渉遠 道路勤勞 今以難升米爲率善中郎將 牛利爲率善校尉 假銀印青綬 引見勞賜遣還
今以絳地交龍錦五匹〈臣松之以爲地應爲綈 漢文帝著皁衣謂之弋綈是也 此字不體 非魏朝之失 則傳寫者誤也〉絳地縐粟罽十張 蒨絳五十匹 紺青五十匹 答汝所獻貢直 又特賜汝紺地句文錦三匹 細班華罽五張 白絹五十匹 金八兩 五尺刀二口 銅鏡百枚 真珠 鉛丹各五十斤 皆裝封付難升米 牛利 還到録受 悉可以示汝國中人 使知國家哀汝 故鄭重賜汝好物也 」 - 正始元年
- 太守弓遵遺建中校尉梯儁等 奉詔書印綬詣倭國 拜假倭王 并齎詔賜金帛 錦 罽 刀 鏡 采物 倭王因使上表答謝詔恩
- 其四年
- 倭王復遺使大夫伊聲耆 掖邪狗等八人 上獻生口 倭錦 絳青縑 緜衣 帛布 丹木 𤝔 短弓矢 掖邪狗等壹拜率善中郎將印綬
- 其六年
- 詔賜倭難升米黃幢 付郡假授
- 其八年
-
太守王頎到官 倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和
遺倭載斯 烏越等詣郡 說相攻擊狀 遣塞曹掾史張政等 因齎詔書
黃幢 拜假難升米 爲檄告喻之
卑彌呼以死 大作冢 徑百餘歩 狥葬者奴碑百餘人 更立男王 國中不服 更相誅殺 當時殺千餘人 復立卑彌呼宗女壹與年十三 爲王 國中遂定 政等以檄告喻壹與
壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人 送政等還 因詣臺 獻上男女生口三十人 貢白珠五千孔 青大句珠二枚 異文雜錦二十匹
残りは、こんな感じで年代ごとの記録って感じなんだ
だから年代毎に訳しながら読んでいくね
だから年代毎に訳しながら読んでいくね
年数が入って具体的な記録って感じがするね
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景初二年六月
- 倭女王遣大夫難升米等詣郡 求詣天子朝獻 太守劉夏遣吏將送詣京都
-
景初二年六月
(西暦238年) - 倭の女王(卑弥呼)は、大夫(たいふ)の難升米(なしめ)らを 郡(帯方郡)に遣(つか)わし、天子(魏の皇帝)の許(もと)へ 行って朝献(ちょうけん)したいと求めた。太守(たいしゅ)の 劉夏(りゅうか)は、役人を派遣して彼らを都(京都、洛陽)まで 送り届けさせた。
この記述では、西暦238年に邪馬台国の女王である卑弥呼が
初めて魏に使者を送り、正式な国交を結んだって書いてるね
大夫(たいふ)の難升米(なしめ)が帯方郡で劉夏(りゅうか)って人に 会って、帯方郡の役人と一緒に皇帝の居る洛陽まで行ったみたいだね
大夫(たいふ)の難升米(なしめ)が帯方郡で劉夏(りゅうか)って人に 会って、帯方郡の役人と一緒に皇帝の居る洛陽まで行ったみたいだね
帯方郡の太守の名前や使者の名前まで出てくると正式な
記録感がでてくるね
さて続きは、魏の皇帝から下された詔書の内容なんだけど
- 其年十二月
-
詔書報倭女王 曰
「 制詔親魏倭王卑彌呼 帶方太守劉夏遣使送汝大夫難升米 次使都市牛利 奉汝所獻男生口四人 女生口六人 斑布二匹二𠀋 以到
汝所在踰遠 乃遣使貢獻 是汝之忠孝 我甚哀汝 今以汝爲親魏倭王 假金印紫綬 裝封付帶方太守假授 汝其綏撫種人 勉爲孝順
汝來使難升米 牛利渉遠 道路勤勞 今以難升米爲率善中郎將 牛利爲率善校尉 假銀印青綬 引見勞賜遣還
今以絳地交龍錦五匹〈臣松之以爲地應爲綈 漢文帝著皁衣謂之弋綈是也 此字不體 非魏朝之失 則傳寫者誤也〉絳地縐粟罽十張 蒨絳五十匹 紺青五十匹 答汝所獻貢直 又特賜汝紺地句文錦三匹 細班華罽五張 白絹五十匹 金八兩 五尺刀二口 銅鏡百枚 真珠 鉛丹各五十斤 皆裝封付難升米 牛利 還到録受 悉可以示汝國中人 使知國家哀汝 故鄭重賜汝好物也 」
ちょっと長いから4パートに分けて説明するね
確かにちょっと長いね
1. 詔書の冒頭と使節の報告
- その年の12月
-
親魏倭王(しんぎわおう)卑弥呼に詔を下す。
「 帯方太守(たいしゅ)の劉夏が、あなたの使者である大夫(たいふ) 難升米(なしめ)と、次使の都市牛利(つしごり)を派遣し、 あなたが献上した男子奴隷四人、女子奴隷六人、そして斑布(まだらな模様の布) 二匹二𠀋(にひきにしゅう)を携えて到着した。
まずは、最初のパートは邪馬台国使者が、帯方郡の太守の劉夏に
会って、宝物を献上した事を説明してるね
二匹二𠀋ってのは二𠀋の長さの布を2枚って意味らしい
二匹二𠀋ってのは二𠀋の長さの布を2枚って意味らしい
ほうほう
奴隷10名と二枚の布を送ったんね
奴隷10名と二枚の布を送ったんね
奴隷と言っても、犯罪を犯した人が刑罰として奴隷落ちしてたり、税金を支払い出来ない為、
奴隷落ちしたりと色々な原因があって、犯罪奴隷と金持ちに税金を肩代わりしてもらう為
だったり色々あるから当然、待遇や身分も違ったらしい
まぁ、良くても社畜労働だろうけど
貴族買われる人や一般人に買われる人でも、待遇違うし 国策の制作に駆り出される人とか色々いたわけだから、 倭人は、犯罪奴隷や敵軍の捕虜でもないし、今風に言えば 社畜社員派遣みたいな感じかなぁって思うんだ
まぁ、良くても社畜労働だろうけど
貴族買われる人や一般人に買われる人でも、待遇違うし 国策の制作に駆り出される人とか色々いたわけだから、 倭人は、犯罪奴隷や敵軍の捕虜でもないし、今風に言えば 社畜社員派遣みたいな感じかなぁって思うんだ
まぁ、犯罪奴隷みたいな扱いじゃないだけ、ましかな
ある程度の期間で解放されたりしなかったのかなぁ?
ある程度の期間で解放されたりしなかったのかなぁ?
まぁ、詳細の説明がないけど、ある程度の期間で解放されたとしたら、
今でいう教育実習制度みたいな感じかな?
あぶない発言するなぁw
まぁ、現代の奴隷制度なんて呼ばれてるけどねぇ
まぁ、現代の奴隷制度なんて呼ばれてるけどねぇ
次行くね
2. 称号の授与と目的
-
あなたの住む土地は遠隔にあるにもかかわらず、使者を派遣して貢物をしてきた。
これはあなたの忠誠心と孝行心であり、私はあなたを大いに憐れむ(褒め称える)。
今、あなたを「親魏倭王」とし、金印(きんいん)と紫綬(しじゅ)を仮に授ける。
これらを箱に納めて封をし、帯方太守に託して(あなたに)仮に授けさせる。
あなたは、その称号をもって同族の者たちを安んじ、勉めて(魏に)孝順(従順)であるように。
「かなりの遠方からわざわざ来た褒美に金印をさずけよう! 」
って感じだね
「邪馬台国」についてや対立する「狗奴国」について知るのはその後の 話になるから、あまり「邪馬台国」どころか「倭国」についてもしらない 状態で「倭国」の王として認めて「金印」を授けたみたいだねぇ
って感じだね
「邪馬台国」についてや対立する「狗奴国」について知るのはその後の 話になるから、あまり「邪馬台国」どころか「倭国」についてもしらない 状態で「倭国」の王として認めて「金印」を授けたみたいだねぇ
そう言えば、倭国に魏の使者が派遣されるのはこの後の話なんだよね
「邪馬台国」からの使者の発言だけで判断したのか、それとも事前に「倭国」の 情報について詳しく知ってたのかどうなんだろう?
「邪馬台国」からの使者の発言だけで判断したのか、それとも事前に「倭国」の 情報について詳しく知ってたのかどうなんだろう?
魏志倭人伝の冒頭で「もとは百余国、漢の時に朝見(天子に拝謁)する者あり。」
って文があったから、倭国の色んな国の使者が来てたからある程度の情報を
知ってて、その情報から「邪馬台国」が有力な国だと判断したのかなって思うよ
そういえば、学校で習った「漢委奴国王」って、この時代より昔だったっけ?
そうそう
その辺も深堀したいけど、今回は「魏志倭人伝」を読むことを優先しよう
その辺も深堀したいけど、今回は「魏志倭人伝」を読むことを優先しよう
そうだね
まずは、最後まで読んでから、考察しようよ
まずは、最後まで読んでから、考察しようよ
じゃぁ、次いくね
3. 使節への褒賞
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あなたの使者である難升米、牛利は遠路を渡り、道中で苦労した。今、難升米を率善中郎将(りつぜんちゅうろうしょう)に、
牛利を率善校尉(りつぜんこうい)に任じ、銀印青綬(ぎんいんせいじゅ)を
仮に授ける。彼らを謁見させ、労をねぎらい、褒賞を与えて帰らせる。
使者の「難升米」が「率善中郎将」に「牛利」を「率善校尉」に任じて「銀印青綬」を
授けたって書いてあるね
ほぇぇ!
「銀印青綬」なんて初めてきいたよ
卑弥呼の「金印」だけじゃなくて、使者に「銀印」を授けられてたんだね
「銀印青綬」なんて初めてきいたよ
卑弥呼の「金印」だけじゃなくて、使者に「銀印」を授けられてたんだね
確かに古代史の動画を見ていても「金印」ばかりで「銀印」なんて
出てこないよね
「金印」も「銀印」も古代中国でかなりの地位の貴族に与えられる物みたいだから そういう待遇で扱われてたって事だよね
じゃぁ次いくね
「金印」も「銀印」も古代中国でかなりの地位の貴族に与えられる物みたいだから そういう待遇で扱われてたって事だよね
じゃぁ次いくね
4. 豊富な下賜品の内容
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今、絳地(こうち)の交龍錦(こうりゅうきん)五匹、(中略:注釈)、絳地縐粟罽(すうそくけい)
十張、蒨絳(せんこう)五十匹、紺青(かんせい)五十匹を、
あなたが献上した貢物への返礼として送る。
さらに特別に、紺地句文錦(こうじくもんきん)三匹、細班華罽(さいはんかけい)五張、 白絹五十匹、金八両(りょう)、五尺の刀二口、銅鏡百枚、真珠と鉛丹(えんたん)を それぞれ五十斤を特にあなたに賜る。これらを全て箱に納めて封をし、 難升米と牛利に託すので、帰国したら目録と照らし合わせて受け取りなさい。
これらを全てあなたの国の人々に見せ、大魏の国があなたを深く憐れみ(目をかけ)、 故に鄭重(ねんごろ)に良いものを賜ったことを知らせなさい。 」
沢山の布や刀、銅鏡百枚、真珠と鉛丹を返礼として
貰って帰ったみたいだね
そして、これを国に帰って見せびらかしてアピールしろって書いてるね
そして、これを国に帰って見せびらかしてアピールしろって書いてるね
当時の倭の奴隷の価値は分からないけど、倍返しどころが10倍返しな返礼だねぇ
これは、当時の中国の考え方で諸外国からの使者が貢物を持ってくるというのは、皇帝に
徳があるからだと国民からみなされるからだと言われてるし、皇帝の持つ力を他国に示せる
為、こんなに褒美を渡せるくらい、凄いんだぞって見せたいんだろうね
さて、詔書の内容はこんな感じかな?
次いくね
さて、詔書の内容はこんな感じかな?
次いくね
-
正始元年
西暦240年 -
太守の弓遵(きゅうじゅん)は、建中校尉の梯儁(ていしゅん)ら
を遣わし、詔書(皇帝の手紙)と印綬(金印と紫の紐)を奉じて
倭国へ赴かせた。倭王(卑弥呼)に拝仮(授与)し、あわせて
詔(みことのり)をもたらし、金、絹織物、錦、毛織物、刀、鏡、
色とりどりの贈り物を賜った。
倭王はこれを受け、使者に託して上表文を奉り、 詔恩(皇帝の慈しみ)に対して謝意を表した。
太守の弓遵(きゅうじゅん)って人が梯儁(ていしゅん)の使者達を
遣わして倭国に詔書と印綬(金印と紫の紐)を持たせて倭国に
行かせたって話だね
金印や贈り物を貰った卑弥呼が使者にお礼の返事の手紙を 書いて送ったみたいだね
金印や贈り物を貰った卑弥呼が使者にお礼の返事の手紙を 書いて送ったみたいだね
返事の手紙?
って事は、文字が無かった倭人が使者の人の助けは必要だっただろうけど、 文字を使ったやり取りをして外交を行ってたって事だよね
って事は、文字が無かった倭人が使者の人の助けは必要だっただろうけど、 文字を使ったやり取りをして外交を行ってたって事だよね
後、この贈られた「鏡」ってのが、「三角縁神獣鏡」だというい説があるんだ
それは、この年の年数の入った「三角縁神獣鏡」が日本各地から発掘されてるから なんだけど、銅鏡百枚どころかそれを超える枚数が発掘されてたり、中国で同じ鏡が 一枚も発掘されてないから、日本製なのでは?って説もあるくらいなんだ
それは、この年の年数の入った「三角縁神獣鏡」が日本各地から発掘されてるから なんだけど、銅鏡百枚どころかそれを超える枚数が発掘されてたり、中国で同じ鏡が 一枚も発掘されてないから、日本製なのでは?って説もあるくらいなんだ
銅鏡百枚ってだけでなんの情報もないんじゃ仕方がないよねぇ
そうそう
じゃぁ、次いくね
じゃぁ、次いくね
- 其四年
- 倭王復遺使大夫伊聲耆 掖邪狗等八人 上獻生口 倭錦 絳青縑 緜衣 帛布 丹木拊 短弓矢 掖邪狗等壹拜率善中郎將印綬
-
その四年
(正始四年)
(西暦243年) -
倭王(卑弥呼)は、再び使者として大夫(たいふ)の伊聲耆(いせき)、掖邪狗(ややこ)ら八人を派遣し、
(魏の皇帝に)生口(奴隷)、倭錦(倭国産の錦)、絳青縑(赤と青のきめ細かい絹)、緜衣(真綿の衣)、帛布(絹と麻の布)、丹木拊(赤く塗った木の盾や把手)、短弓矢を献上した。
掖邪狗らは、一様に率善中郎将(りつぜんちゅうろうしょう)を拝命し、印綬(銀印青綬)を授かった。
また、魏に使者を送ったみたいだね
前回は奴隷と二𠀋の長さの斑布2枚だったみたいだけど
今度は色んな織物が献上されたみたいだね
前回は奴隷以外は、軽い手見上げ程度な感じだったけど、今回は 自分たちの技術のアピールって面もあったのかな?
前回は奴隷と二𠀋の長さの斑布2枚だったみたいだけど
今度は色んな織物が献上されたみたいだね
前回は奴隷以外は、軽い手見上げ程度な感じだったけど、今回は 自分たちの技術のアピールって面もあったのかな?
奴隷は兎も角として印象は、税金の様に沢山の貢物をささげて
部下にしてもらって守ってもらうっていうよりは、軽い手見上げで、
多くの返礼を貰えたり文化交流による技術を学べる利点が大きそうだね
また、「率善中郎将」という高い位や印綬を、
一様に与えられたみたいで、献上品が気に入ったのかな?
まぁ魏内部での政治的な思惑もあっただろうけど
ちっぽけな国が献上に来たって言うよりは、遠方の有力な国家が 献上に来たって方がいいだろうしね
さて次いくね
まぁ魏内部での政治的な思惑もあっただろうけど
ちっぽけな国が献上に来たって言うよりは、遠方の有力な国家が 献上に来たって方がいいだろうしね
さて次いくね
- 其六年
- 詔賜倭難升米黃幢 付郡假授
-
その六年
(正始六年)
(西暦245年) -
詔(みことのり)を下し、倭の難升米に黄幢(こうどう)を賜った。
(帯方)郡に託して、仮に授けさせた。
この黄幢(こうどう)ってのは、「黄色い旗(軍旗)」で、魏の軍事的な権威を
しめすものだから、これを使って魏の権威をしめせって事だね
邪馬台国のバックには魏がいるぞって示せって事だね
そうそう
じゃぁ次ね
じゃぁ次ね
- 其八年
-
太守王頎到官 倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和
遺倭載斯 烏越等詣郡 說相攻擊狀 遣塞曹掾史張政等
因齎詔書 黃幢 拜假難升米 爲檄告喻之 卑彌呼以死
大作冢 徑百餘歩 狥葬者奴碑百餘人 更立男王 國中不服
更相誅殺 當時殺千餘人 復立卑彌呼宗女壹與年十三爲王
國中遂定 政等以檄告喻壹與 壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人
送政等還 因詣臺 獻上男女生口三十人 貢白珠五千孔 青大句珠二枚 異文雜錦二十匹
-
その八年
(正始八年)
(西暦247年) -
魏の帯方郡太守(太守)に王頎(おうき)が着任
邪馬台国と狗奴国の対立が激化。魏は張政らを派遣し、難升米に「黄幢(軍旗)」を正式に授け、和解を促す檄文を送りました。
その最中、卑弥呼がこの世を去ります。直径100歩(約150m)もの巨大な塚が作られ、100人以上の奴婢が殉葬されました。
次に男の王が立ちますが、人々は従わず国中に殺し合いが広まり、1,000人以上が犠牲になりました。
卑弥呼の血縁である13歳の少女・壹與が王になると、ようやく国中が鎮まりました。魏の張政は彼女を承認し、和解を説きました。
壹與は掖邪狗(ややこ)ら20人を魏へ派遣。真珠5,000個や大きな勾玉2枚、美しい織物を献上しました。
この黄幢(こうどう)ってのは、「黄色い旗(軍旗)」で、魏の軍事的な権威を
しめすものだから、これを使って魏の権威をしめせって事だね
邪馬台国のバックには魏がいるぞって示せって事だね
しかし、 張政が来てからなのか、来る前なのか分からないけど
卑弥呼がなくなっちゃうんだ
しかも、原因について触れられてないから、病死なのか対立してた狗奴国との戦争が 関係してるのか等なにもわからないんだ
しかも、原因について触れられてないから、病死なのか対立してた狗奴国との戦争が 関係してるのか等なにもわからないんだ
え~!
せっかく、張政が来て黄幢っていう軍旗を渡されてこれからって感じだったのに
せっかく、張政が来て黄幢っていう軍旗を渡されてこれからって感じだったのに
そうなんだよね
そして、大きなお墓が作られて100人以上の奴婢が殉葬されたんだ
この、お墓が近畿説では「箸墓古墳」が有力視されてて、そこに葬られてる「倭迹迹日百襲姫命」という第7代孝霊天皇皇女が 卑弥呼だという説があるんだ
九州説では九州各地にある古墳の何れかって感じになってるんだ
これは、九州説と言っても九州の何処ってのは意見が分かれてるからね 近畿説は大和朝廷が邪馬台国だって考え方だから一つに絞られて組んだけど 九州説では、神武東征前の九州大和勢力が邪馬台国だって考え方や土蜘蛛なんて 呼ばれたりした「まつろわぬもの」と呼ばれた勢力が邪馬台国だって考え方もあるから いろいろ場所が固まらないんだ
そして、大きなお墓が作られて100人以上の奴婢が殉葬されたんだ
この、お墓が近畿説では「箸墓古墳」が有力視されてて、そこに葬られてる「倭迹迹日百襲姫命」という第7代孝霊天皇皇女が 卑弥呼だという説があるんだ
九州説では九州各地にある古墳の何れかって感じになってるんだ
これは、九州説と言っても九州の何処ってのは意見が分かれてるからね 近畿説は大和朝廷が邪馬台国だって考え方だから一つに絞られて組んだけど 九州説では、神武東征前の九州大和勢力が邪馬台国だって考え方や土蜘蛛なんて 呼ばれたりした「まつろわぬもの」と呼ばれた勢力が邪馬台国だって考え方もあるから いろいろ場所が固まらないんだ
まぁ、土蜘蛛とか鬼側が埋葬された塚とかが卑弥呼の墓かもしれないって事?
そうそう
それに古墳とかの上に神社が作られてたりするから、神社が移転でもしない限り 発掘もできなかったりするしね
それに古墳とかの上に神社が作られてたりするから、神社が移転でもしない限り 発掘もできなかったりするしね
それで卑弥呼が亡くなって、後を男の王が継いだけど反発を生んで
内乱になったんだね
それを納めたのが卑弥呼の血縁である13歳の少女・壹與(いよ)なんだ
まぁ感じが似ている為、臺與(とよ)が正しいともいわれてるんだけどね
まぁ感じが似ている為、臺與(とよ)が正しいともいわれてるんだけどね
確かに似た漢字だね
そして、壹與(いよ)は掖邪狗(ややこ)ら20人を魏へ派遣して皇帝に貢物をするんだけど、
ここで倭人伝は終わるんだ
え~!
ここからってところなのに~!
なにこの「俺達の戦いはこれからだ!」みたいな終わり方
ここからってところなのに~!
なにこの「俺達の戦いはこれからだ!」みたいな終わり方
そうなんだよ
ここで終わってるから「邪馬台国」がどうなったのか「狗奴国」とはどうなったのか
「壹與(いよ)」はどうなったのか等何も書かれてないから皆が色々推理して論争になってるんだ
ここで終わってるから「邪馬台国」がどうなったのか「狗奴国」とはどうなったのか
「壹與(いよ)」はどうなったのか等何も書かれてないから皆が色々推理して論争になってるんだ
そうなんだ~!
でも、取り敢えず魏志倭人伝にどんなことが書かれてるかは分かったよ
でも、取り敢えず魏志倭人伝にどんなことが書かれてるかは分かったよ
そうだね
今度はこれをベースに色々推理していきたいね
じゃぁ今日はこの辺で
今度はこれをベースに色々推理していきたいね
じゃぁ今日はこの辺で
は~い
またね~
またね~
