魏志倭人伝を読んでみよう(前半)
2025/12/02
どうも、こんにちは!!古代史大好きハリネズミのスカラーです。
同じく古代史大好きキノコスライムのライムだよ!
先日は、邪馬台国への経路について話をしたよね
今回は邪馬台国へ行く際に立ち寄った国々や邪馬台国について話そうと思うんだ
今回は邪馬台国へ行く際に立ち寄った国々や邪馬台国について話そうと思うんだ
そう言えば、途中の国々の説明はしてなかったね
せっかくだから、魏志倭人伝を最初からゆっくり読んでいこうと思うんだ
オッケー!
じゃぁよろしくね~
じゃぁよろしくね~
ほ~い
まずは、最初の文章から
まずは、最初の文章から
倭人在帶方東南大海之中、依山㠀爲國邑。
舊百餘國、漢時有朝見者。
今使譯所通三十國。
舊百餘國、漢時有朝見者。
今使譯所通三十國。
『訳』
倭人は帯方の東南大海の中に在り、山島に依って国邑をつくる。
もとは百余国、漢の時に朝見(天子に拝謁)する者あり。
今は使訳の通ずる所30国あり。
倭人は帯方の東南大海の中に在り、山島に依って国邑をつくる。
もとは百余国、漢の時に朝見(天子に拝謁)する者あり。
今は使訳の通ずる所30国あり。
まず一文目だけど、「東南大海」っていう朝鮮半島からの倭国の位置の説明だねぇ
「山島に依って国邑をつくる」ってのは、山や島で国々が出来てるってのは、そのままに 見えるけど、「山」や「島」って、昔から神社とかがあったりと信仰の対象になってたりも するから、精神的な意味でも山や島に寄り添って国が出来てるきがするね
「山島に依って国邑をつくる」ってのは、山や島で国々が出来てるってのは、そのままに 見えるけど、「山」や「島」って、昔から神社とかがあったりと信仰の対象になってたりも するから、精神的な意味でも山や島に寄り添って国が出来てるきがするね
ふむふむ
山へは狩りに行ったり山菜を取りに行ったりと島へは釣りに行ったりと 今と違って安全面でも狩猟の成果的にも祈願が重要だっただろうからねぇ
山へは狩りに行ったり山菜を取りに行ったりと島へは釣りに行ったりと 今と違って安全面でも狩猟の成果的にも祈願が重要だっただろうからねぇ
そう考えると、「山(やま)」ってのは神聖な信仰対象だったわけで、
邪馬台国って漢字は魏の人が当て字しただけなわけだから
邪馬台国の「邪馬(やま)」の部分は本来「山」なのかもしれないね
邪馬台国の「邪馬(やま)」の部分は本来「山」なのかもしれないね
そうだねぇ
日本は山の神、海の神の国だよねぇ
日本は山の神、海の神の国だよねぇ
確かにねぇ、じゃあ次は、これは100以上の国々が
別々に皇帝に会いに行ってたって事かな
ほぇぇ
沢山の国があったんだねぇ
沢山の国があったんだねぇ
卑弥呼の時代には、使者と通訳を介して交流している国が30ヶ国くらいに
減ってたみたいだねぇ
ふむふむ、大分減ったねぇ!
争いの結果の統廃合かなぁ
邪馬台国の卑弥呼が代表して朝見して他の国は 使者と通じてのやり取りに変わったみたいだね
続きいくよ!
邪馬台国の卑弥呼が代表して朝見して他の国は 使者と通じてのやり取りに変わったみたいだね
続きいくよ!
從郡至倭 循海岸水行 歴韓國 乍南乍東
到其北岸狗邪韓國七千餘里
『訳』
群依り倭に至るには海岸を循って水行する。 韓国を歴てあるいは南へ、あるいは東へ進み、 その北岸、狗邪韓國に到着する。七千余里。
群依り倭に至るには海岸を循って水行する。 韓国を歴てあるいは南へ、あるいは東へ進み、 その北岸、狗邪韓國に到着する。七千余里。
これは、そのままだねぇ
帯方郡から南や東にジグザクに海岸沿いに船で進んで倭の北岸、 狗邪韓國に到着したって意味だよね
帯方郡から南や東にジグザクに海岸沿いに船で進んで倭の北岸、 狗邪韓國に到着したって意味だよね
ところが、ここにも議論が出てきてるんだよ
「倭の対岸」でなく「倭の北岸」って事から「狗邪韓國」が 倭国の一部として書かれてるなんて意見もでてるね
「倭の対岸」でなく「倭の北岸」って事から「狗邪韓國」が 倭国の一部として書かれてるなんて意見もでてるね
へぇぇ!
そんな意見もあるんだねぇ
確かに、この文の始まりも「群から倭に至るには」から始まって 「狗邪韓國に到着する」になってるから文脈的にも「狗邪韓國」が倭国みたいな 書き方だねぇ
違うのなら「狗邪韓國を歴て南に海を渡り対馬へ到着する」とかでもいいのにねぇ
そんな意見もあるんだねぇ
確かに、この文の始まりも「群から倭に至るには」から始まって 「狗邪韓國に到着する」になってるから文脈的にも「狗邪韓國」が倭国みたいな 書き方だねぇ
違うのなら「狗邪韓國を歴て南に海を渡り対馬へ到着する」とかでもいいのにねぇ
始度一海千餘里、至對海國、其大官曰卑狗、副曰卑奴母離、
所居絶㠀、方可四百餘里。土地山險、多深林、道路如禽鹿徑。
有千餘戸。無良田、食海物自活、乗船南北市糴。
『訳』
初めて海を渡ること千余里で対馬国に至る。
その大官を卑狗(ひくorひこ)、 副官を卑奴母離(ひなもり)という。
居るところは絶遠の島で、方四百余里ばかりか。
土地は山は険しく、深林は多く道路は鳥や獣の獣道のように険しい。
千余戸あり。良田はなく、食は海の物を取って自活していて、船に乗って南北に行き米を買ったりしている。
初めて海を渡ること千余里で対馬国に至る。
その大官を卑狗(ひくorひこ)、 副官を卑奴母離(ひなもり)という。
居るところは絶遠の島で、方四百余里ばかりか。
土地は山は険しく、深林は多く道路は鳥や獣の獣道のように険しい。
千余戸あり。良田はなく、食は海の物を取って自活していて、船に乗って南北に行き米を買ったりしている。
ここで対馬に到着だね
ようやく国の様子や人口等の話題が出てきたね
ようやく国の様子や人口等の話題が出てきたね
ようやく、当時の生活の様子の手がかりが出てきたね
でもそういえば、狗邪韓國は詳細が無かったね
やっぱり経由地だったのかなぁ?
でもそういえば、狗邪韓國は詳細が無かったね
やっぱり経由地だったのかなぁ?
確かに、狗邪韓國が倭国だったのならもう少し詳細を書いてるハズだねぇ
大官や副官が出てきたねぇ
大官を卑狗(ひくorひこ)、 副官を卑奴母離(ひなもり)って呼んでたんだねぇ
これは役職?
大官を卑狗(ひくorひこ)、 副官を卑奴母離(ひなもり)って呼んでたんだねぇ
これは役職?
そうそう
そうみたいだね
それで方四百余里ってのは一辺四百余里の正方形を意味するらしいよ
それで千余戸ってのもあるけどこの辺の数値関係は後日改めて別で語るね
そうみたいだね
それで方四百余里ってのは一辺四百余里の正方形を意味するらしいよ
それで千余戸ってのもあるけどこの辺の数値関係は後日改めて別で語るね
確かに数値の単位関係はややこしいからねぇ
今回は国の様子をメインの方が分かりやすいしね
今回は国の様子をメインの方が分かりやすいしね
田はなくて海産物や南北との交易で生活してたみたいだね
又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國。
官亦曰卑狗、副曰卑奴母離。方可三百里。
多竹木叢林。有三千許家。差有田地、耕田猶不足食、 亦南北市糴。
官亦曰卑狗、副曰卑奴母離。方可三百里。
多竹木叢林。有三千許家。差有田地、耕田猶不足食、 亦南北市糴。
『訳』
また、南に海を渡ること千余里、名を瀚海という名である、至る一大國。
官をまた卑狗と言う、副官を卑奴母離と言う。方三百里ばかりである。
竹林や叢林が多い。
三千あまりの家がある。やや田地が多いが、耕してもなお食べるには足らず、 また南北に行き、米を買うなどする。
また、南に海を渡ること千余里、名を瀚海という名である、至る一大國。
官をまた卑狗と言う、副官を卑奴母離と言う。方三百里ばかりである。
竹林や叢林が多い。
三千あまりの家がある。やや田地が多いが、耕してもなお食べるには足らず、 また南北に行き、米を買うなどする。
今度は一大国って国の説明ね
他の資料では「一支國」って表記されてるみたいで、 位置的にも「壱岐島」の事を指してると考えられてるね
他の資料では「一支國」って表記されてるみたいで、 位置的にも「壱岐島」の事を指してると考えられてるね
うんうん
確かに位置的にも「壱岐」で、間違いなさそうだね
確かに位置的にも「壱岐」で、間違いなさそうだね
「一大国」とか「一支国」の表記の違いに関しては、音的には
「いちだいこく」より「いちしこく」の方が「いきこく」に近いと思うし
「一支国」の方が正しいのかなって思うね
そして、ここでもまた、大官が卑狗で副官を卑奴母離って言うって事は、 やっぱり名前じゃなくて役職名で正解ぽいね
そして、ここでもまた、大官が卑狗で副官を卑奴母離って言うって事は、 やっぱり名前じゃなくて役職名で正解ぽいね
うんっ!
3000位の家があるって今度は「戸」じゃなくて「家」なんだね
まぁ、その辺は次回かな?
そして、ここは田んぼは有るけど足りないから交易をして米を買ってたみたいだね
次行こう~
3000位の家があるって今度は「戸」じゃなくて「家」なんだね
まぁ、その辺は次回かな?
そして、ここは田んぼは有るけど足りないから交易をして米を買ってたみたいだね
次行こう~
又渡一海千餘里、至末廬國。有四千餘戸、濱山海居。
草木茂盛、行不見前人。好捕魚鰒、水無深淺、皆沈没取之。
草木茂盛、行不見前人。好捕魚鰒、水無深淺、皆沈没取之。
『訳』
また、海を渡ること千余里、至る末廬國。
四千余戸あり、山と海の間の海岸に居住する。
草木が盛んに茂り、歩いてゆくと前の人が見えない。
好んで魚やアワビを捕え、川水は深くても浅くても、皆が身を沈めて取る。
また、海を渡ること千余里、至る末廬國。
四千余戸あり、山と海の間の海岸に居住する。
草木が盛んに茂り、歩いてゆくと前の人が見えない。
好んで魚やアワビを捕え、川水は深くても浅くても、皆が身を沈めて取る。
今度は「末廬國」だね!
ここは、長崎県松浦市だと言われているよ
四千余戸ってことは、対馬の4倍もいるみたいだね
国の外の道路の話だと思うけど前の人の姿が見えなくなるほど草木が 茂ってるってあまり、整備されてなかったみたいだねぇ
まぁ、意図があったのか、ただ整備してなかったのか その辺は分かんないけど
ここは、長崎県松浦市だと言われているよ
四千余戸ってことは、対馬の4倍もいるみたいだね
国の外の道路の話だと思うけど前の人の姿が見えなくなるほど草木が 茂ってるってあまり、整備されてなかったみたいだねぇ
まぁ、意図があったのか、ただ整備してなかったのか その辺は分かんないけど
九州上陸だね
アワビや魚を捕って食べてたんだねぇ
田んぼについて何も書いてないけど無いのかなぁ?
アワビや魚を捕って食べてたんだねぇ
田んぼについて何も書いてないけど無いのかなぁ?
田んぼについては、記述はないけど今まで無い場合は「無い」と言い切ってたし
壱岐の記述で南北に買いに来てたって言ってたし、壱岐に売るくらいは
あったのかなって思うよ
それじゃ続きを見ていこう
それじゃ続きを見ていこう
東南陸行五百里、到伊都國。官曰爾支、副曰泄謨觚・柄渠觚。
有千餘戸。丗有王、皆統屬女王國。郡使往來常所駐。
有千餘戸。丗有王、皆統屬女王國。郡使往來常所駐。
東南に陸路を五百里行くと、伊都国に着く。
(この国の)長官は爾支(にし)といい、副官は泄謨觚(せもこ)・
柄渠觚(へいここ)という。 千余戸がある。
代々王がいるが、皆女王国(邪馬台国)に統属している。
(中国の)郡使が往来する際、いつも駐留する場所である。
代々王がいるが、皆女王国(邪馬台国)に統属している。
(中国の)郡使が往来する際、いつも駐留する場所である。
「伊都国」の記事だね
ここは、長崎県糸島市だと言われてるんだ
東南じゃないじゃんって言われそうだが、「末廬國」から東南方向に 出発して海岸沿いに行くって意味だと捉えられているそうだ
そして、官は爾支(にし)と言って、副官は泄謨觚(せもこ)・ 柄渠觚(へいここ)と言う二人いるみたい
伊都国には王様がいたらしいんだけど、代々邪馬台国に従属してたらしい
ここは、長崎県糸島市だと言われてるんだ
東南じゃないじゃんって言われそうだが、「末廬國」から東南方向に 出発して海岸沿いに行くって意味だと捉えられているそうだ
そして、官は爾支(にし)と言って、副官は泄謨觚(せもこ)・ 柄渠觚(へいここ)と言う二人いるみたい
伊都国には王様がいたらしいんだけど、代々邪馬台国に従属してたらしい
へぇ!
王様がいたんだぁ
王様がいたんだぁ
そうそう!
だけど残念な事に名前がでてこないんだよねぇ
そしてこの国は、帯方郡の使者が駐留してた場所みたいなんだ
じゃぁ次いくね
だけど残念な事に名前がでてこないんだよねぇ
そしてこの国は、帯方郡の使者が駐留してた場所みたいなんだ
じゃぁ次いくね
東南至奴國百里。官曰兕馬觚、副曰卑奴母離。
有二萬餘戸。
有二萬餘戸。
伊都国から東南へ百里行くと奴国に至る。
奴国の大官(官)は兕馬觚(しまこ)といい、副官(副)は卑奴母離(ひなもり)という。
二万余戸がある
奴国の大官(官)は兕馬觚(しまこ)といい、副官(副)は卑奴母離(ひなもり)という。
二万余戸がある
今度は「奴国」だね
百里って事は伊都国からかなり近いね
後、二万余戸って行き成り単位が跳ね上がったね
かなり大人数が暮らしてたんだ
百里って事は伊都国からかなり近いね
後、二万余戸って行き成り単位が跳ね上がったね
かなり大人数が暮らしてたんだ
そうだね
それと、大官が兕馬觚(しまこ)って役職名?だけど、副官がまた卑奴母離(ひなもり)だね
今まで出てきた役職名の関係性が気になるね
イメージでは王様のいた伊都国の爾支(にし)が今までの中では一番上かなぁって思う
じゃぁ次いくね
それと、大官が兕馬觚(しまこ)って役職名?だけど、副官がまた卑奴母離(ひなもり)だね
今まで出てきた役職名の関係性が気になるね
イメージでは王様のいた伊都国の爾支(にし)が今までの中では一番上かなぁって思う
じゃぁ次いくね
東行至不彌國百里。官曰多模、副曰卑奴母離。有千餘家。
東へ百里行くと不弥国に至る。
不弥国の大官(官)は多模(たも)、副官(副)は卑奴母離(ひなもり)という。
千余戸がある。
不弥国の大官(官)は多模(たも)、副官(副)は卑奴母離(ひなもり)という。
千余戸がある。
次は「不弥国」で、何処から「東に百里」なのか議論の対象になってるね
伊都国の時にも言ったけど、「魏の使者が伊都国に留まっていた」って主張があるから 「東に百里」が「奴国」からじゃなく「伊都国」からだって意見が出てる
伊都国の時にも言ったけど、「魏の使者が伊都国に留まっていた」って主張があるから 「東に百里」が「奴国」からじゃなく「伊都国」からだって意見が出てる
そう言えば「伊都国」時に「駐留してた」って言ってたね
邪馬台国への経由地じゃなくて駐留してたって書かれてるしねぇ
一時的に駐留してた可能性もあるけどねぇ
「奴国」も「不弥国」も、距離と戸数、官名とかのみでその他の説明ないから 余計行ってない気がしてくる
一時的に駐留してた可能性もあるけどねぇ
「奴国」も「不弥国」も、距離と戸数、官名とかのみでその他の説明ないから 余計行ってない気がしてくる
行ってないからその辺は書けなかったのかな?
そうだね~
じゃぁ次いくね
じゃぁ次いくね
南至投馬國、水行二十曰。官曰彌彌、副曰彌彌那利。可五萬餘戸。
不弥国から南へ、水路で二十日かけて行くと投馬国に至る。
大官(官)は彌彌(みみ)、副官(副)は彌彌那利(みみななり)という。
五万余戸がある。
大官(官)は彌彌(みみ)、副官(副)は彌彌那利(みみななり)という。
五万余戸がある。
あれ?
急に日数になった
そう言えば、前回の話でも途中で急に日数になったけど、ここの記述の ことだったんだね
急に日数になった
そう言えば、前回の話でも途中で急に日数になったけど、ここの記述の ことだったんだね
そうそう!
だから、この辺は明確に使者が来てないって事になると思うんだ。
国の詳細が出てこないしねぇ
あと五万余戸って事は「奴国」の2.5倍くらい大きな国って事かなって思うんだ
だから、この辺は明確に使者が来てないって事になると思うんだ。
国の詳細が出てこないしねぇ
あと五万余戸って事は「奴国」の2.5倍くらい大きな国って事かなって思うんだ
たしかに、距離表示と官の名前と戸数だけの簡略表記って事は
国の事が全然わからなくて、記述できなかったのかな?
じゃぁ次よろしく
じゃぁ次よろしく
了解
じゃぁ次いくね
じゃぁ次いくね
南至邪馬壹國。女王之所都、水行十日、陸行一月。
官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮。可七萬餘戸。
官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮。可七萬餘戸。
邪馬台国に南下して至る。ここは女王(卑弥呼)が都(みやこ)としている場所である。
行程は、水路(船)で十日、その後陸路で一月(約30日)かかる
大官は伊支馬(いきま)、その次官は彌馬升(みましょう)、 その次は彌馬獲支(みまかくき)、その次は奴佳鞮(なかてい)という。
行程は、水路(船)で十日、その後陸路で一月(約30日)かかる
大官は伊支馬(いきま)、その次官は彌馬升(みましょう)、 その次は彌馬獲支(みまかくき)、その次は奴佳鞮(なかてい)という。
ふぁぁ!
副官?が多いねぇ!
さすが首都って感じ?
副官?が多いねぇ!
さすが首都って感じ?
そうだねぇ
以上が邪馬台国への旅程部分になるんだ
これ以降は、倭国の様子やその他の国に関する記事になるんだけど
一区切りついたし、今日はこの辺で終わるね
以上が邪馬台国への旅程部分になるんだ
これ以降は、倭国の様子やその他の国に関する記事になるんだけど
一区切りついたし、今日はこの辺で終わるね
ほ~い
おやすみ~
おやすみ~
