魏志倭人伝を読んでみよう(中編)
2025/12/11
こんばんはスカラーです。
今日は、前回に引き続き魏志倭人伝を読んでいくよ
今日は、前回に引き続き魏志倭人伝を読んでいくよ
前回は、邪馬台国に到着するところまでだったよね
続きいこう
続きいこう
ほいほい
続きはこれだよ
続きはこれだよ
自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳
次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國 次有好古都國
次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國 次有呼邑國 次有華奴蘇奴國
次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國 次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國
次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國 此女王境界所盡
次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國 次有好古都國
次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國 次有呼邑國 次有華奴蘇奴國
次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國 次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國
次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國 此女王境界所盡
女王国より以北は、その戸数、道里の略載を得べきも、その余の旁国は遠くして絶へ、詳を得べからず。
次に斯馬国(しまこく)有り。次に巳百支国(いほきこく)有り。次に伊邪国有り(いやこく)。次都支国(ときこく)有り。次に弥奴国(みなこく)有り。次に好古都国(ここつこく)有り。 次に不呼国(ふこく)有り。次に姐奴国(せぬこく)有り。次に対蘇国(つそこく)有り。次に蘇奴国(そぬこく)有り。次に呼邑国(こおこく)有り。次に華奴蘇奴国(かぬそぬこく)有り。 次に鬼国(きこく)有り。次に為吾国(いごこく)有り。次に鬼奴国(きぬこく)有り。次に邪馬国(やまこく)有り。次に躬臣国(きゅうしんこく)有り。次に巴利国(はりこく)有り。 次に支惟国(しいこく)有り。次に烏奴国(おぬこく)有り。次に奴国(なこく)有り。
ここは女王の境界尽きる所なり。
次に斯馬国(しまこく)有り。次に巳百支国(いほきこく)有り。次に伊邪国有り(いやこく)。次都支国(ときこく)有り。次に弥奴国(みなこく)有り。次に好古都国(ここつこく)有り。 次に不呼国(ふこく)有り。次に姐奴国(せぬこく)有り。次に対蘇国(つそこく)有り。次に蘇奴国(そぬこく)有り。次に呼邑国(こおこく)有り。次に華奴蘇奴国(かぬそぬこく)有り。 次に鬼国(きこく)有り。次に為吾国(いごこく)有り。次に鬼奴国(きぬこく)有り。次に邪馬国(やまこく)有り。次に躬臣国(きゅうしんこく)有り。次に巴利国(はりこく)有り。 次に支惟国(しいこく)有り。次に烏奴国(おぬこく)有り。次に奴国(なこく)有り。
ここは女王の境界尽きる所なり。
邪馬台国の旅程以外の国々を紹介してるのね
そうそう!
ちょっと気になるのが、「その戸数、道里の略載を得べきも、その余の旁国は遠くして絶へ、詳を得べからず。」って部分なんだけど、 ここから察するに、倭国の役人から周辺国の情報を聞いてたって事だよね
とすると、遠くは詳細が得られなかったが、逆に近くは詳細が得られたとも考えられるよね
ちょっと気になるのが、「その戸数、道里の略載を得べきも、その余の旁国は遠くして絶へ、詳を得べからず。」って部分なんだけど、 ここから察するに、倭国の役人から周辺国の情報を聞いてたって事だよね
とすると、遠くは詳細が得られなかったが、逆に近くは詳細が得られたとも考えられるよね
うんうん!
前回、魏の使者は、伊都国に留まってたかもって説もあるって言ってたけね
って事は、「伊都国」でその他の国々の詳細を聞いたのかな
前回、魏の使者は、伊都国に留まってたかもって説もあるって言ってたけね
って事は、「伊都国」でその他の国々の詳細を聞いたのかな
それで、「奴国」も「不弥国」も近くだから里数が推察できたから記したとも考えられるね
逆に、「邪馬台国」や「投馬国」も、行ってないし遠くだから里数が推察できないから倭人から 聞いた日数計算になったのかなって思うんだ
逆に、「邪馬台国」や「投馬国」も、行ってないし遠くだから里数が推察できないから倭人から 聞いた日数計算になったのかなって思うんだ
確かに、急に日数になったのも、倭人から伝聞で得た情報だから里数が分からなかったのね
日数も一日何里くらい歩くのか聞けば想定できるのかもしれないけど
当時の倭人の性格が「ドラクエⅡのサマルトリアの王子」の様な性格なら 寄り道したりのんびり滞在してそうだし
「邪馬台国からここまで何日かかった?」って聞いて船で「10日かかったよ」て 言われても「いや~○○国の温泉が気持ちよくて3日も滞在しちゃったよ)」って 事かもしれないし
当時の倭人の性格が「ドラクエⅡのサマルトリアの王子」の様な性格なら 寄り道したりのんびり滞在してそうだし
「邪馬台国からここまで何日かかった?」って聞いて船で「10日かかったよ」て 言われても「いや~○○国の温泉が気持ちよくて3日も滞在しちゃったよ)」って 事かもしれないし
確かに、さっさとサマルトリアの城に行けばいいのに、リリザの町の宿屋で
のんびりしてたしねぇ
ローレシアの城からサマルトリアに行ったって聞いたのに、サマルトリア行ったら 居ないから「何処にいるんだよっ!」って思ったよね
ローレシアの城からサマルトリアに行ったって聞いたのに、サマルトリア行ったら 居ないから「何処にいるんだよっ!」って思ったよね
そうそう!
って結局、船で移動したり徒歩で移動しても途中どのくらい休息するかで 日数が変わるから、日数からの逆算での里数の把握は難しそうだよね
って結局、船で移動したり徒歩で移動しても途中どのくらい休息するかで 日数が変わるから、日数からの逆算での里数の把握は難しそうだよね
例えばサマルトリアの王子がローレシアからサマルトリアまで3日掛ったから
ローレシアからサマルトリアまでは3日かかるって記されてもこまるよね
そこ以外にも気になるのは、この旁国の中に「奴国」が出てきてるんだよね
ここも議論の的になってて、伊都国から東南にあるっていうあの「奴国」なのか?って話が でてるんだ
この旁国の中にも「○奴国」って感じの国が多くでてるから元々は前に何か付いてたのが、書き写しているうちに 欠落したんじゃないかって言われてるんだ
「華奴蘇奴国(かぬそぬこく)」ってのも、 「華奴国」「蘇奴国」だったのじゃないかって話もでてる
ここも議論の的になってて、伊都国から東南にあるっていうあの「奴国」なのか?って話が でてるんだ
この旁国の中にも「○奴国」って感じの国が多くでてるから元々は前に何か付いてたのが、書き写しているうちに 欠落したんじゃないかって言われてるんだ
「華奴蘇奴国(かぬそぬこく)」ってのも、 「華奴国」「蘇奴国」だったのじゃないかって話もでてる
この「奴国」が、伊都国の東南の「奴国」ならそこからその他の国々を予想していけば、邪馬台国にたどり着けそうなんだけどねぇ
まぁ「その戸数、道里の略載を得べきも、その余の旁国は遠くして絶へ、詳を得べからず。」
って言ってるように、伊都国の東南百里だと全然「遠くして絶へ」てないから
違うと思うんだ
それじゃ次いくよ
それじゃ次いくよ
其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 自郡至女王國 萬二千餘里
其(そ)の南には狗奴国(くなこく)有り。男子を王と為(な)す。
其の官に狗古智卑狗(くこちひこ)有り、女王に属せず。郡より女王国に至るは、万二千余里なり。
「邪馬台国」の北の国々の紹介をした後、その南って言ってるって事は、
「邪馬台国」の南に「狗奴国」があったんだろうねぇ
大官は狗古智卑狗(くこちひこ)っていうらしいんだけど、 「菊池彦」じゃないかって説があるね
昔の偉い人って地区名に彦って付いた人も多く登場するし(吉備津彦命)とかね
熊本県菊池郡の役人だから菊池彦だったんじゃないかって言われてる
昔は菊池じゃなくて「久々知(くくち)」って言われてたらしいから「久々知彦(くくちひこ)」 だと、余計菊池彦説が有力な気がする
大官は狗古智卑狗(くこちひこ)っていうらしいんだけど、 「菊池彦」じゃないかって説があるね
昔の偉い人って地区名に彦って付いた人も多く登場するし(吉備津彦命)とかね
熊本県菊池郡の役人だから菊池彦だったんじゃないかって言われてる
昔は菊池じゃなくて「久々知(くくち)」って言われてたらしいから「久々知彦(くくちひこ)」 だと、余計菊池彦説が有力な気がする
確かに地名+彦って名前の昔の有力者に多いね
今では「彦」って一般的な男の子につける名前だけど、古くは地域の首長の尊称
だったみたいなんだ
「彦」ってのは「姫」と対で使われる事が多いみたいだから、「姫様」とかよんでたように 「彦様」とか呼んでたんじゃないかなって思うんだ
そう言う意味では対馬の大官で卑狗(ひこ?)っていたけど本来は「対馬彦」とかの 名前だけど、普段は「彦様」って呼ばれてたから魏の役人に「彦って名前なのか」と勘違いされたとか
「彦」ってのは「姫」と対で使われる事が多いみたいだから、「姫様」とかよんでたように 「彦様」とか呼んでたんじゃないかなって思うんだ
そう言う意味では対馬の大官で卑狗(ひこ?)っていたけど本来は「対馬彦」とかの 名前だけど、普段は「彦様」って呼ばれてたから魏の役人に「彦って名前なのか」と勘違いされたとか
で、その狗古智卑狗(くこちひこ)って人が居た「狗奴国」は「邪馬台国」には属してなかったんだね
そうだね
その文の次に書いてある「郡より女王国に至るは、万二千余里なり」って文が出てくるんだけど、 これが前回話した
(12000里 - 10500里 = 1500里)って話に繋がるんだ
その文の次に書いてある「郡より女王国に至るは、万二千余里なり」って文が出てくるんだけど、 これが前回話した
(12000里 - 10500里 = 1500里)って話に繋がるんだ
途中から里数分からないから日数で記してたと思うんだけど、よく総里数わかったね
そこが謎だよね~
距離がわかってるのなら、「投馬國」まで700里「邪馬台国」まで800里とか書けばいいのにねぇ
この1万2千里の意味しだいで、残りの距離を現す「1500里」と「水行10日、陸行1月」 のどちらが重要度が高いかが変わりそうなんだよね
距離がわかってるのなら、「投馬國」まで700里「邪馬台国」まで800里とか書けばいいのにねぇ
この1万2千里の意味しだいで、残りの距離を現す「1500里」と「水行10日、陸行1月」 のどちらが重要度が高いかが変わりそうなんだよね
ふむふむ
残り「1500里」を重要だとみれば九州説が有利で「水行10日、陸行1月」が 重要だとみれば近畿説有利かな
じゃぁ続きいくよ~
残り「1500里」を重要だとみれば九州説が有利で「水行10日、陸行1月」が 重要だとみれば近畿説有利かな
じゃぁ続きいくよ~
男子無大小、皆黥面文身。
自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。
夏后少康之子、封於會稽、斷髪文身、以避蛟龍之害。 今倭水人好沈没捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽、後稍以爲飾。
諸國文身各異、或左或右、或大或小、尊卑有差。
計其道里、當在會稽東治之東。
自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。
夏后少康之子、封於會稽、斷髪文身、以避蛟龍之害。 今倭水人好沈没捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽、後稍以爲飾。
諸國文身各異、或左或右、或大或小、尊卑有差。
計其道里、當在會稽東治之東。
男子は老いも若きも関係なく、皆、顔に刺青を入れ(黥面)、身体に刺青を入れている(文身)。
昔から、彼ら(倭人)が使いを中国に送る時は、皆、大夫(たいふ)と自称する。
昔の夏王朝の少康(しょうこう)の子が、会稽(かいけい)に封じられた際、髪を切り(断髪)、 身体に刺青を入れ(文身)て、蛟龍(こうりゅう)の害を避けたという。
今の倭の水に住む人々は、潜って魚や蛤を捕るのを好むが、刺青をするのは、 大きな魚や水鳥に食われるのを防ぐための呪いでもある。
その後、少しずつ装飾として用いられるようになった。
諸国の刺青はそれぞれ異なっており、左に入れたり右に入れたり、 大きくしたり小さくしたりして、身分の高い者と低い者とで違いがある。
その距離を計算するに、会稽や東治(とうち)の東に位置しているはずである。
昔から、彼ら(倭人)が使いを中国に送る時は、皆、大夫(たいふ)と自称する。
昔の夏王朝の少康(しょうこう)の子が、会稽(かいけい)に封じられた際、髪を切り(断髪)、 身体に刺青を入れ(文身)て、蛟龍(こうりゅう)の害を避けたという。
今の倭の水に住む人々は、潜って魚や蛤を捕るのを好むが、刺青をするのは、 大きな魚や水鳥に食われるのを防ぐための呪いでもある。
その後、少しずつ装飾として用いられるようになった。
諸国の刺青はそれぞれ異なっており、左に入れたり右に入れたり、 大きくしたり小さくしたりして、身分の高い者と低い者とで違いがある。
その距離を計算するに、会稽や東治(とうち)の東に位置しているはずである。
今度は一気にいったね
少しずつじゃないんだ
少しずつじゃないんだ
ここは、全部で一つの記述だから分離できなかったんだ
ふむふむ
ここで倭人の男子はみな顔や体に入れ墨を入れてるって説明をしていて
倭人の使者は皆「大夫(たいふ)」(昔の中国でいうところの貴族)を名乗ってたといい
夏王朝の少康(しょうこう)の子が会稽に行って入れ墨を入れて暮らしてて
「邪馬台国」の位置が、その少康が居たという会稽や東治(とうち)の東に位置していると説明して 倭人と夏王朝との繋がりをにおわしてるんだ
夏王朝の少康(しょうこう)の子が会稽に行って入れ墨を入れて暮らしてて
「邪馬台国」の位置が、その少康が居たという会稽や東治(とうち)の東に位置していると説明して 倭人と夏王朝との繋がりをにおわしてるんだ
ふむふむ
いきなり話が広がったね
倭人の入れ墨の話から夏王朝の子孫とか
いきなり話が広がったね
倭人の入れ墨の話から夏王朝の子孫とか
そうそう
で、その入れ墨は元々は潜って魚を捕ったりする際に大きな魚からの被害から 逃れる為の呪いだったけど、時代が進むにつれ装飾となったらしい
入れ墨の模様は地域毎に異なっていたり場所も大きさも身分によって異なってたらしい
で、その入れ墨は元々は潜って魚を捕ったりする際に大きな魚からの被害から 逃れる為の呪いだったけど、時代が進むにつれ装飾となったらしい
入れ墨の模様は地域毎に異なっていたり場所も大きさも身分によって異なってたらしい
其風俗不淫。男子皆露紒、以木緜頭。
其衣橫幅、但結束相連、略無縫。
婦人被髪屈紒、作衣如單被、穿其中央、貫頭衣之。
種禾稻・紵麻、蠶桑緝績、出細紵・縑・緜。
其地無牛馬虎豹羊鵲。
其衣橫幅、但結束相連、略無縫。
婦人被髪屈紒、作衣如單被、穿其中央、貫頭衣之。
種禾稻・紵麻、蠶桑緝績、出細紵・縑・緜。
其地無牛馬虎豹羊鵲。
彼ら(倭人)の風俗は淫らではない(乱れた性風俗ではない)。
男子は皆、頭の上に結った髷(まげ)を露わにし(露紒)、 布を頭に巻いている(以木緜頭)。 その衣服は横幅の布(よこはばのぬの)を 使い、ただ結んでつなぎ合わせているだけで(結束相連)、縫い目はほとんどない(略無縫)。
婦人は髪を垂らしたままで曲げた髷(まげ)を結い(被髪屈紒)、 単衣の布団(ひとえのふとん)のような衣服を作り、その中央に穴を開け (穿其中央)、頭を通してそれを着る(貫頭衣之)。
稲(いね)や麻(からむし)を栽培し(種禾稻・紵麻)、蚕を飼い、桑を育て、 糸を紡ぎ布を織る(蠶桑緝績)。
そして、上質な麻布(細紵)・絹織物(縑)・木綿 (または真綿)(緜)を産出する(出細紵・縑・緜)。
その場所には、牛、馬、虎、豹、羊、そしてカササギ(鳥の一種)がいません。
男子は皆、頭の上に結った髷(まげ)を露わにし(露紒)、 布を頭に巻いている(以木緜頭)。 その衣服は横幅の布(よこはばのぬの)を 使い、ただ結んでつなぎ合わせているだけで(結束相連)、縫い目はほとんどない(略無縫)。
婦人は髪を垂らしたままで曲げた髷(まげ)を結い(被髪屈紒)、 単衣の布団(ひとえのふとん)のような衣服を作り、その中央に穴を開け (穿其中央)、頭を通してそれを着る(貫頭衣之)。
稲(いね)や麻(からむし)を栽培し(種禾稻・紵麻)、蚕を飼い、桑を育て、 糸を紡ぎ布を織る(蠶桑緝績)。
そして、上質な麻布(細紵)・絹織物(縑)・木綿 (または真綿)(緜)を産出する(出細紵・縑・緜)。
その場所には、牛、馬、虎、豹、羊、そしてカササギ(鳥の一種)がいません。
当時の倭人の生活が少し見えてきたね
今の感覚だと入れ墨が違和感あるけど、それ以外は想像した通りかなぁ
麻や綿や絹などを手作業で織って衣服を作ってたんだね
魏の役人の目から見ても上質だと判断される布を織ってたってのも手先が器用な人が おおかったんだねぇ
後、虎や豹や羊はともかく、牛や馬もいなかったんだねぇ
今の感覚だと入れ墨が違和感あるけど、それ以外は想像した通りかなぁ
麻や綿や絹などを手作業で織って衣服を作ってたんだね
魏の役人の目から見ても上質だと判断される布を織ってたってのも手先が器用な人が おおかったんだねぇ
後、虎や豹や羊はともかく、牛や馬もいなかったんだねぇ
ほぇぇ
やっぱり日本人て昔から手先が器用だったんだね
やっぱり日本人て昔から手先が器用だったんだね
兵用矛・楯・木弓。木弓短下長上、竹箭或鐵鏃或骨鏃。
所有無與儋耳・朱崖同。
所有無與儋耳・朱崖同。
兵士は、矛(ほこ)、楯(たて)、木の弓を使っている。
木の弓は、下側が短く、上側が長い
竹の矢には、鉄の鏃(やじり)を使っているものもあれば、 骨の鏃を使っているものもある。
木の弓は、下側が短く、上側が長い
竹の矢には、鉄の鏃(やじり)を使っているものもあれば、 骨の鏃を使っているものもある。
鉄の鏃だけじゃなく骨の鏃もあったって事は、やっぱり当時は鉄は
貴重だったんだろうなぁ
ってか、ここの説明で出てる弓の特徴って和弓の特徴と一緒だねぇ
既に和弓の仕組みが成立してたんだねぇ
ってか、ここの説明で出てる弓の特徴って和弓の特徴と一緒だねぇ
既に和弓の仕組みが成立してたんだねぇ
ふむふむ
当時の兵隊さんの様子だねぇ
こういいう和弓の特徴っていつからあるんだろう?
当時の兵隊さんの様子だねぇ
こういいう和弓の特徴っていつからあるんだろう?
いつか調べたいねぇ
次いくよ!
次いくよ!
倭地温暖、冬夏食生菜、皆徒跣。
有屋室、父母兄弟臥息異處。 以朱丹塗其身體、如中國用粉也。食飲用籩豆、手食。
有屋室、父母兄弟臥息異處。 以朱丹塗其身體、如中國用粉也。食飲用籩豆、手食。
倭の地は温暖で、冬も夏も生の野菜(生菜)を食べる。
皆、裸足(徒跣:とせん)である。
家屋(屋室)があるが、父母と兄弟は別々の場所に寝て休む(臥息異處)。
朱色の丹(朱丹)を身体に塗っており、これは中国人が(化粧で) 白い粉を使うようなものである(如中國用粉也)。
食事には高杯(たかつき)のような食器(籩豆:へんとう)を用い、手で食べる(手食)。
皆、裸足(徒跣:とせん)である。
家屋(屋室)があるが、父母と兄弟は別々の場所に寝て休む(臥息異處)。
朱色の丹(朱丹)を身体に塗っており、これは中国人が(化粧で) 白い粉を使うようなものである(如中國用粉也)。
食事には高杯(たかつき)のような食器(籩豆:へんとう)を用い、手で食べる(手食)。
現在の食事風景と比べたらお箸が無いのが違和感あるけど、それ以外は
違和感ないねぇ
野菜をよく食べるってところが、やっぱり日本人って思うねぇ
野菜をよく食べるってところが、やっぱり日本人って思うねぇ
白粉の代わりに朱色を塗ってたんだねぇ
どういう意味だろう?
どういう意味だろう?
そこは、やっぱり赤って血の色だし、生命の象徴てきな意味じゃないかなぁ?
病に対してだとか狩猟での被害に対してとか祈願したんじゃないかなぁ?
次いくね
病に対してだとか狩猟での被害に対してとか祈願したんじゃないかなぁ?
次いくね
其死、有棺無槨、封土作冢。始死停喪十餘曰。當時不食肉、喪主哭泣、他人就歌舞飲酒。已葬、擧家詣水中澡浴、以如練沐。
人が死んだ時は、棺(ひつぎ)はあるが、槨(かく)はない。 土を盛り上げて塚(墳丘)を作る(封土作冢)。
亡くなった直後は、十日あまりの間(十餘曰:十数日)喪に服して安置し(停喪)、その間は肉を食べない(當時不食肉)。
喪主(遺族)は泣き悲しむが(喪主哭泣)、他の人々は歌舞や 飲酒をして集う(他人就歌舞飲酒)。
埋葬を終えた後は、家族一同が水中に赴いて全身を洗い清める (擧家詣水中澡浴)。
これは沐浴によって穢れを清めるという意味合いがある。
亡くなった直後は、十日あまりの間(十餘曰:十数日)喪に服して安置し(停喪)、その間は肉を食べない(當時不食肉)。
喪主(遺族)は泣き悲しむが(喪主哭泣)、他の人々は歌舞や 飲酒をして集う(他人就歌舞飲酒)。
埋葬を終えた後は、家族一同が水中に赴いて全身を洗い清める (擧家詣水中澡浴)。
これは沐浴によって穢れを清めるという意味合いがある。
お墓や喪に服し方などの違いはあるけど、死者の弔い方として踊ったり酒を飲んだり水で洗い清めるのって
通夜や盆踊りを連想するねぇ
死者をお迎えする盆踊りと違いはあるけど、死者の送迎に踊りが関係してたんだねぇ
原型かねぇ
原型かねぇ
そうかもねぇ
じゃぁ次いくね
じゃぁ次いくね
其行來渡海詣中國、恒使一人、不梳頭、不去蟣蝨、衣服垢汚、
不食肉、不近婦人、如喪人。名之爲持衰。
若行者吉善、共顧其生口財物。若有疾病、遭暴害、便欲殺之、
謂其持衰不謹。
使節団が海を渡って中国にやってくるとき、一人の者を常に同行させる。
その者は、髪を梳らず、シラミを取らず、衣服は汚れたままにし、肉を食べず、 女性に近づかず、あたかも喪に服している人のようにする。 この者を**持衰(じさい)と呼ぶ。
もし使節団の旅が順調で良い結果に終わったなら、 皆でその持衰に、彼が携えてきた生口や財物を与えて 労(ねぎら)う。
もし旅の途中で誰かが病気になったり、災害に見舞われたりしたら、 すぐにその持衰を殺そうとする。これは、持衰が(呪術的な)慎みを 怠ったためだと考えるからである。
その者は、髪を梳らず、シラミを取らず、衣服は汚れたままにし、肉を食べず、 女性に近づかず、あたかも喪に服している人のようにする。 この者を**持衰(じさい)と呼ぶ。
もし使節団の旅が順調で良い結果に終わったなら、 皆でその持衰に、彼が携えてきた生口や財物を与えて 労(ねぎら)う。
もし旅の途中で誰かが病気になったり、災害に見舞われたりしたら、 すぐにその持衰を殺そうとする。これは、持衰が(呪術的な)慎みを 怠ったためだと考えるからである。
これは、船の航海の安全の為、全身全霊で安全祈願をするのが
仕事で、成功したら莫大な資産をえられるけど失敗したら処刑って
今なら考えられない仕事だねぇ
怖いねぇ
いくら報酬がすごくても僕には絶対できないよ
いくら報酬がすごくても僕には絶対できないよ
出真珠・青玉。其山有丹、其木有柟・杼・櫲樟・楺・櫪・投橿・
烏號・楓香、其竹篠・簳・桃支。有薑・橘・椒・蘘荷、
不知以爲滋味。有獼猴・黒雉。
倭国では、真珠と青玉(ヒスイ、あるいは青い玉)が産出する。
山には丹(たん)(朱色を出す顔料、硫化水銀)がある。
多くの種類の木材や竹が豊富に存在している。
『柟(だん。クス)、杼(ちょ。トチ)、櫲樟(よしょう。 クスノキ)・楺(ぼう。ボケ)・櫪(れき。クヌギ)・ 投橿(とうきょう。カシ)・烏号(うごう。ヤマグワ)・ 楓香(ふうこう。オカツラ)がある。竹には篠(じょう)・ 簳(かん。ヤタケ)・桃支(とうし。カヅラダケ)』等
薑(はじかみ)(ショウガ)、橘(たちばな)(ミカン属)、椒(はじかみ)(サンショウ)、 蘘荷(みょうが)があるが、これらを味付けのために使うことを知らない。
獼猴(びこう)(猿の一種)と黒雉(こくち)(キジの一種)がいる。
山には丹(たん)(朱色を出す顔料、硫化水銀)がある。
多くの種類の木材や竹が豊富に存在している。
『柟(だん。クス)、杼(ちょ。トチ)、櫲樟(よしょう。 クスノキ)・楺(ぼう。ボケ)・櫪(れき。クヌギ)・ 投橿(とうきょう。カシ)・烏号(うごう。ヤマグワ)・ 楓香(ふうこう。オカツラ)がある。竹には篠(じょう)・ 簳(かん。ヤタケ)・桃支(とうし。カヅラダケ)』等
薑(はじかみ)(ショウガ)、橘(たちばな)(ミカン属)、椒(はじかみ)(サンショウ)、 蘘荷(みょうが)があるが、これらを味付けのために使うことを知らない。
獼猴(びこう)(猿の一種)と黒雉(こくち)(キジの一種)がいる。
真珠やヒスイ?と丹(朱色を出す顔料、硫化水銀)が取れたとか
多くの木材が取れる事を紹介してて
香辛料となる物もとれるけど、当時の倭人は知らなかったって紹介してる
後は猿と雉がいたっていってるね
多くの木材が取れる事を紹介してて
香辛料となる物もとれるけど、当時の倭人は知らなかったって紹介してる
後は猿と雉がいたっていってるね
あんまり味付けしなかったのかな?
まぁ縄文時代から土器があったし、煮たりはしてたと思うから 出汁はとってたんじゃないかなぁ
まぁ基本は素材のままの味って感じかな?
まぁ縄文時代から土器があったし、煮たりはしてたと思うから 出汁はとってたんじゃないかなぁ
まぁ基本は素材のままの味って感じかな?
うんうん
僕もそう思うよ
じゃぁ次ね
僕もそう思うよ
じゃぁ次ね
其俗舉事行來、有所云爲、輒灼骨而卜、以占吉凶。
先告所卜、其辭如令龜法、視火坼占兆。
先告所卜、其辭如令龜法、視火坼占兆。
その風俗として、物事を起こす時や出かける時など、何かをするにあたっては
必ず骨を焼いて占い(灼骨而卜:しゃくこつじぼく)、それによって吉凶を占う。
前もって占う内容を告げる。その言葉(占いの文言)は、中国で亀の甲羅を占う方法 (令龜法:れいきほう)のようである。
火によって骨にできた割れ目(火坼:かたく)を見て、兆し(兆:ちょう)を占う。
前もって占う内容を告げる。その言葉(占いの文言)は、中国で亀の甲羅を占う方法 (令龜法:れいきほう)のようである。
火によって骨にできた割れ目(火坼:かたく)を見て、兆し(兆:ちょう)を占う。
今の安全祈願に通じるものがあるよね
神社の多くが山の近くにあったり、海岸の近くにあったりするのも、狩りの安全や成功を 祈願する面もあったと思うから、こういう事も理解しやすいと思う。
神社の多くが山の近くにあったり、海岸の近くにあったりするのも、狩りの安全や成功を 祈願する面もあったと思うから、こういう事も理解しやすいと思う。
確かに、こういう風習も形を変えて現在にも続いてるって考えると感慨深いねぇ
この辺は特に疑問点もないから、話がさくさく進むね
じゃぁ次いくね
じゃぁ次いくね
其會同坐起、父子男女無別。人性嗜酒。見大人所敬、
但搏手以當跪拝。其人壽考、或百年、或八九十年。
集会(会同)で座ったり立ったりする作法は、父子、男、女の区別がない(無別)。
その人々の性質は酒を好む(人性嗜酒)。
尊敬する大人(上位者)に会う時は、ただ手を打つ(搏手:はくしゅ)ことをもって、 跪いて拝むこと(跪拝:きはい)に代える(当)。
その人々は寿命が長い(壽考:じゅこう)。あるいは百年、あるいは八、九十年生きる。
その人々の性質は酒を好む(人性嗜酒)。
尊敬する大人(上位者)に会う時は、ただ手を打つ(搏手:はくしゅ)ことをもって、 跪いて拝むこと(跪拝:きはい)に代える(当)。
その人々は寿命が長い(壽考:じゅこう)。あるいは百年、あるいは八、九十年生きる。
手を打つって今でいう柏手(かしわで)みたいな感じかなぁ
物事の吉凶を占う事が習慣化してたみたいだし、目上の人ってのは神職者的な 人だったのかなぁ?
物事の吉凶を占う事が習慣化してたみたいだし、目上の人ってのは神職者的な 人だったのかなぁ?
今の僕たちが神主様に会う時みたいな感じかな?
魏の人達には不思議でも昔の事とはいえ、日本人としては今も習慣として 残ってるしやっぱり昔の日本人って話を聞けば聞くほど思うねぇ
魏の人達には不思議でも昔の事とはいえ、日本人としては今も習慣として 残ってるしやっぱり昔の日本人って話を聞けば聞くほど思うねぇ
そうだねぇ
じゃぁまた次ね
じゃぁまた次ね
其俗、國大人皆四五婦、下戸或二三婦。婦人不淫、不妒忌。
不盗竊、少諍訟。其犯法、輕者没其妻子、重者滅其門戸及宗族。
尊卑各有差序、足相臣服。
その風俗として、国の大人(身分の高い者)は皆、四、五人の妻を持ち、
下戸(身分の低い一般の者)でもあるいは二、三人の妻を持つ(一夫多妻制)。
婦人(女性)はみだらでなく(不淫)、嫉妬しない(不妒忌)。
盗みをせず(不盗竊)、争いごとや訴訟が少ない(少諍訟)。
法を犯した時は、罪が軽い者でもその妻子を没収され(没其妻子)、 罪が重い者はその一門や宗族(親族全体)まで滅ぼされる(滅其門戸及宗族)。
尊い者と卑しい者(尊卑)にはそれぞれ順序の区別があり(各有差序)、 よくお互いを臣下として従わせる(足相臣服)。
婦人(女性)はみだらでなく(不淫)、嫉妬しない(不妒忌)。
盗みをせず(不盗竊)、争いごとや訴訟が少ない(少諍訟)。
法を犯した時は、罪が軽い者でもその妻子を没収され(没其妻子)、 罪が重い者はその一門や宗族(親族全体)まで滅ぼされる(滅其門戸及宗族)。
尊い者と卑しい者(尊卑)にはそれぞれ順序の区別があり(各有差序)、 よくお互いを臣下として従わせる(足相臣服)。
一夫多妻制だったみたいだねぇ
まぁ、昔ならそうだろうねぇ
盗みがなく、争いごとが少ないてのは昔から争いごとを好まない 性格だったのね
盗みに関しては、まったく無かったとは思わないけど無いと魏の人の目線ではみえたんだろうねぇ 重い罪を犯した場合は、親族全体まで滅ぼされるってのは、酷いって思うけど、昔はそういう話 よく聞くし現在くらいの法治社会にならないと難しいだろうねぇ
まぁ、昔ならそうだろうねぇ
盗みがなく、争いごとが少ないてのは昔から争いごとを好まない 性格だったのね
盗みに関しては、まったく無かったとは思わないけど無いと魏の人の目線ではみえたんだろうねぇ 重い罪を犯した場合は、親族全体まで滅ぼされるってのは、酷いって思うけど、昔はそういう話 よく聞くし現在くらいの法治社会にならないと難しいだろうねぇ
大変な時代だったんだねぇ
そうだねぇ
じゃぁまた次ね
じゃぁまた次ね
收租賦、有邸閣。
國國有市、交易有無使大倭監之。
自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之。常治伊都國、於國中有如刺史。
國國有市、交易有無使大倭監之。
自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之。常治伊都國、於國中有如刺史。
租税を徴収し、(それを保管する)倉庫がある。
国々には市場(市)があり、物資の交換(交易有無)には、大倭(たいわ)を 置いてこれを監督させている。
女王国より北には、特に一大率(いちだいそつ)を置き諸国を検察させている。
諸国はこれを畏れ憚っている。
常に伊都国(いとこく)に駐在しており、国内における刺史(しし)のようである。
国々には市場(市)があり、物資の交換(交易有無)には、大倭(たいわ)を 置いてこれを監督させている。
女王国より北には、特に一大率(いちだいそつ)を置き諸国を検察させている。
諸国はこれを畏れ憚っている。
常に伊都国(いとこく)に駐在しており、国内における刺史(しし)のようである。
税があってそれを保管する倉庫があったり市場を管理する役人がいたりしたみたいだね
「伊都国」に刺史(皇帝の代理として地方を監視・統制する官職)の様な人が居て、それも 「邪馬台国」の北と書かれてるから、この記述も「邪馬台国」の位置を探るうえで議論 されてるよ
「伊都国」に刺史(皇帝の代理として地方を監視・統制する官職)の様な人が居て、それも 「邪馬台国」の北と書かれてるから、この記述も「邪馬台国」の位置を探るうえで議論 されてるよ
確かに、「邪馬台国」の北に「伊都国」があったって事は逆に言えば
「伊都国」の南が「邪馬台国」って事だからねぇ
收租賦、有邸閣。
國國有市、交易有無使大倭監之。
自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之。常治伊都國、於國中有如刺史。
國國有市、交易有無使大倭監之。
自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之。常治伊都國、於國中有如刺史。
倭国の)王は、使者を(中国の)都、帯方郡、そして韓の諸国へ派遣している。
そして、帯方郡の使者が倭国へ来る時には、皆(倭国の係官が)渡し場(国境/港)に臨んで厳しく捜査し、 文書や賜与の品を女王のもとへ送り届けさせるが、(手続きに)間違いがあってはならない。
そして、帯方郡の使者が倭国へ来る時には、皆(倭国の係官が)渡し場(国境/港)に臨んで厳しく捜査し、 文書や賜与の品を女王のもとへ送り届けさせるが、(手続きに)間違いがあってはならない。
魏だけじゃなく、諸国にも積極的に外交を行ってたみたいだね
国境で厳しくチェックした後、文書や贈り物を女王様の元に送り届けさせてたって 事は、文書のやり取りをしてたって事だよねぇ
当時の文書でも発掘されれば一気に話が発展するんだけどねぇ
国境で厳しくチェックした後、文書や贈り物を女王様の元に送り届けさせてたって 事は、文書のやり取りをしてたって事だよねぇ
当時の文書でも発掘されれば一気に話が発展するんだけどねぇ
そうだねぇ
卑弥呼に送った文書がでてくれば、「邪馬台国」の場所だけじゃなく、どの様な やり取りをしてたかがわかるんだけどねぇ
卑弥呼に送った文書がでてくれば、「邪馬台国」の場所だけじゃなく、どの様な やり取りをしてたかがわかるんだけどねぇ
そうだねぇ
じゃぁまた次ね
じゃぁまた次ね
下戸與大人相逢道路、逡巡入草。
傳辭說事 或蹲或跪 兩手據地 爲之恭敬 對應聲曰噫 比如然諾
傳辭說事 或蹲或跪 兩手據地 爲之恭敬 對應聲曰噫 比如然諾
下戸(身分の低い者)が大人(身分の高い者)と道で出会った場合、ためらいながら道の脇の草むらに入って避ける。
(下戸が大人に)言葉を伝えたり、物事を説明したりする時は、あるいは蹲(うずくま)り、あるいは跪(ひざまず)き、 両手を地面につけて、恭(うやうや)しさを示す。
応じる時の声は「アイッ(噫)」と言い、例えば、中国の「然」(はい)や「諾」(承知しました)のようなものである。
(下戸が大人に)言葉を伝えたり、物事を説明したりする時は、あるいは蹲(うずくま)り、あるいは跪(ひざまず)き、 両手を地面につけて、恭(うやうや)しさを示す。
応じる時の声は「アイッ(噫)」と言い、例えば、中国の「然」(はい)や「諾」(承知しました)のようなものである。
これも動作をイメージしやすいね
時代劇でも、殿様の前で家来が跪いて両手を地面につけて頭さげたり してるの見るしねぇ
「アイッ!」てのは今の「ハイ」って返事の原型かな?
時代劇でも、殿様の前で家来が跪いて両手を地面につけて頭さげたり してるの見るしねぇ
「アイッ!」てのは今の「ハイ」って返事の原型かな?
うんうん
僕も時代劇思い浮かべたよ!
僕も時代劇思い浮かべたよ!
だよねぇ
じゃぁまた次ね
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其國本亦以男子爲王、住七八十年、倭國亂、
相攻伐歷年、乃共立一女子爲王、名曰卑彌呼。
事鬼道、能惑衆、年已長大、無夫壻、有男弟佐治國。
自爲王以來、少有見者、以婢千人自侍、唯有男子一人、 給飲食、傳辭出入。
居處宮室、樓觀、城柵嚴設、 常有人持兵守衞。
事鬼道、能惑衆、年已長大、無夫壻、有男弟佐治國。
自爲王以來、少有見者、以婢千人自侍、唯有男子一人、 給飲食、傳辭出入。
居處宮室、樓觀、城柵嚴設、 常有人持兵守衞。
その国(倭国)も元々男子をもって王としていたが、
七、八十年を経て、倭国は乱れ、長年にわたって互いに攻め合った。
そこで、共に一人の女子を立てて王とした。名を卑弥呼という。
鬼道(きどう)に仕え、よく人々を惑わすことができた。
年齢はすでに大人で、夫はおらず、政治を補佐する男弟がいた。
王となって以来、人前に出ることは少なかった。
千人の婢(女奴隷)に身の回りの世話をさせており、 ただ一人の男子だけが、飲食物を給仕し、言葉を取り次いで出入りをしていた。
住居は、宮室、楼観、城柵が厳重に設けられており、 常に武器を持った人が守衛していた。
そこで、共に一人の女子を立てて王とした。名を卑弥呼という。
鬼道(きどう)に仕え、よく人々を惑わすことができた。
年齢はすでに大人で、夫はおらず、政治を補佐する男弟がいた。
王となって以来、人前に出ることは少なかった。
千人の婢(女奴隷)に身の回りの世話をさせており、 ただ一人の男子だけが、飲食物を給仕し、言葉を取り次いで出入りをしていた。
住居は、宮室、楼観、城柵が厳重に設けられており、 常に武器を持った人が守衛していた。
男の王様がいたけど7~80年内戦が続いたから皆で卑弥呼を立てて
争いをおさめたんだね
何をするのも、占いを重視してたって出てたし、偉大な占い師?って感じの 卑弥呼の占いを元に国を統治する事にしたんだねぇ
色々な物事を卑弥呼の占いで決めて従属する国々の大官に伝えて たんだろうねぇ
その代表が伊都国の王様って感じかな?
何をするのも、占いを重視してたって出てたし、偉大な占い師?って感じの 卑弥呼の占いを元に国を統治する事にしたんだねぇ
色々な物事を卑弥呼の占いで決めて従属する国々の大官に伝えて たんだろうねぇ
その代表が伊都国の王様って感じかな?
なんか、天皇陛下と将軍の関係みたいだね
そうだね
天皇陛下といえば現在でも神道の祭祀を通じて国家と 国民の安寧を祈る重要な役割だからねぇ
占いで方向性を決めて、実務を伊都国の王様が担ってたのかな?
じゃぁまた次ね
天皇陛下といえば現在でも神道の祭祀を通じて国家と 国民の安寧を祈る重要な役割だからねぇ
占いで方向性を決めて、実務を伊都国の王様が担ってたのかな?
じゃぁまた次ね
女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種。
又有侏儒國在其南、人長三四尺、去女王四千餘里、
又有裸國、黒齒國、復在其東南、船行一年可至。
女王国から東に海を渡って千余里行ったところに、また国があり、皆、倭種である。
また、侏儒国(しゅじゅこく)がその南にあり、人の背丈は三、四尺(約70cm〜90cm程度)で、女王国から四千余里離れている。
また裸国(らこく)、黒歯国(こくしこく)があり、さらにその東南にあり、船で一年かければ到着できる。
また、侏儒国(しゅじゅこく)がその南にあり、人の背丈は三、四尺(約70cm〜90cm程度)で、女王国から四千余里離れている。
また裸国(らこく)、黒歯国(こくしこく)があり、さらにその東南にあり、船で一年かければ到着できる。
「邪馬台国」から出てその他の国々の説明になってるけど東にも倭人の国があったとかは良いとして、
南に行くと約70cm〜90cm程度の人とかファンタジーな内容になってるね
さすがに小さすぎるよねぇ
伝承とかを聞いたのかな?
伝承とかを聞いたのかな?
ちなみにこの「邪馬台国」から東に海を渡って千余里行ったところに
倭人の国々があったって説明は九州説に有利な感じになってるんだよ
近畿だと東に海を渡った先って何処だよ?ってなるから
近畿だと東に海を渡った先って何処だよ?ってなるから
なるほどねぇ
九州から東に海を渡ると本州や四国があるからねぇ
九州から東に海を渡ると本州や四国があるからねぇ
そうそう
話が長くなったから次でいったん終わるね
話が長くなったから次でいったん終わるね
ほ~い!
次で、今日は終わりだね
次で、今日は終わりだね
参問倭地、絶在海中洲㠀之上、或絶或連、周旋可五千餘里。
(様々な者に)尋ねてみると、倭の土地は、海中の島々の上に途切れ途切れに存在し、
あるいは途切れたり、あるいは連なったりしており、(全体を)巡ると五千余里(きょり)になる。
この周旋ってのが一周だと言われてるから
「帯方郡」から「狗邪韓国」までが7000余里って言われてるのを 考えると一周回っても「帯方郡」から「狗邪韓国」程はかからないとも 考えれるけど
距離に関しては色々議論されてるんだよ
「帯方郡」から「狗邪韓国」までが7000余里って言われてるのを 考えると一周回っても「帯方郡」から「狗邪韓国」程はかからないとも 考えれるけど
距離に関しては色々議論されてるんだよ
5000里だと「狗邪韓国」から「末廬國」を往復しただけで6000里になるから
わけわかんないねぇ
一辺5000里とか直径5000里の円とかならまだ考えれるけどねぇ
てなわけで今日はこの辺で~
てなわけで今日はこの辺で~
は~い
おやすみ~
おやすみ~
